ムーミンの“もうひとつの家”

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日本にやってきたムーミンたち
ムーミンが初めて日本にやってきたのは、1960年代にトーベ・ヤンソンの小説が日本語に翻訳されたときでした。その後、テレビアニメが制作され、日本でも放送されるようになりました。アニメは複数のバージョンが作られ、日本の幅広い層から人気を集めました。小説やアニメほど知られてはいませんが、トーベ・ヤンソンが描いたコミックも日本語に翻訳されています。
日本では、キャラクターの名前が親しみやすいように一部変更されています。たとえば「ニョロニョロ」は原作ではHattifatteners(英語の読み方は「ハティファッタナーズ」。スウェーデン語ではHattifnatta)、「ミムラねえさん」は“Mymble”(英語の読み方は「メンブル」。スウェーデン語ではMymlan)という名前です。
1990年代にアニメシリーズ『楽しいムーミン一家』が公開されたのに続いて、世界的に、特に日本で、ムーミンの人気が高まりました。フィンランドにはムーミンのグッズや商品を扱う店が出現し、それが日本で今日見られる数多くのムーミンショップやカフェへとつながりました。
ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン
トーベ・ヤンソンは、フィンランドのヘルシンキの、スウェーデン語を話す家庭に生まれました。父は彫刻家、母はイラストレーターで芸術家でした。弟のラルスは、最初はムーミンのコミックの翻訳や文章を担当していましたが、後にイラストも手がけるようになります。
ヤンソンは、わずか15歳のときに「Garm」という政治風刺雑誌のためにイラストを描き始めました。第二次世界大戦中、彼女はその雑誌に多く寄稿し、その中にはヒトラーやスターリンの風刺画も含まれていました。彼女はファシスト政権に対する嫌悪を、明確に、はっきりと表明し続けました。また同時期に、彼女はムーミンの小説の執筆も始めており、家族の安全に対する彼女の不安や恐れは、物語に反映されています。
当時のフィンランドでは同性愛はまだ違法であり、人々が誰を愛するかを自由に選ぶのは安全ではありませんでした。ムーミンのキャラクターには、トーベ自身や彼女が愛した女性たちの姿が投影されているとされ、とくに「トゥーティッキ」は、長年のパートナーであったトゥーリッキ・ピエティラをモデルにしたといわれています。
日本に根づくムーミンの世界
年月を経ても、ムーミンたちの人気は衰えることなく続いています。日本で最初のムーミンカフェは、2003年に東京ドームの近くにオープンしました。また、最初のムーミンショップは2012年に東京に開店しました。日本の「ムーミン愛」は、2019年に埼玉県に開園したムーミンバレーパークへとつながりました。ムーミンショップやカフェは今では日本全国に広がっており、グッズにはマグカップ、文房具、Tシャツだけでなく、スーツケースまでも含まれています。
2020年〜2022年には「ムーミン・コミックス展」が巡回開催されました。この展覧会では、日本でこれまで展示されたことのないイラストや、日本語に翻訳されたことのない作品も紹介されました。このコレクションの中には、フィンランド国外で一度も展示されたことのない作品も含まれていました。
そして今年、ムーミン小説の出版80周年を記念して、「トーベとムーミン展〜とっておきのものを探しに〜」が六本木で開催中です。日本でムーミンのライセンスを管理する会社の代表によると、ムーミンの人気は日本において単なる一時的な流行ではありません。ムーミングッズへの需要は強く、他社とのコラボレーションも着実に増加しているということです。
ムーミンたちの価値観は、今日、ますます重要になってきています。人種差別の世界的な広がりや、差し迫る気候危機を前にして、ムーミンたちは私たちに、包摂性、公正さ、そして思いやりについての大切な教訓を与えてくれます。
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「〜に取って代わられる」「〜へと変わる」
直訳は『道を譲る』 。そこから転じて古いものが新しいものに置き換わるときによく使われる表現!