カップに書かれた名前で私を呼んで

英文記事執筆:SAKURACO / 翻訳:POLYGLOTS magazine編集部
The Grammar of Life:
アメリカ在住のライターSAKURACOが、日々の暮らしや子育て、人々とのコミュニケーションの中で出会った「言葉」について想いを巡らせる隔週連載。人生をいろどり、かたどる言葉たち(The Grammar of Life)を、一緒に味わってみませんか。
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私はアメリカで10年以上暮らしています。ときどき、現地の人だと思われることがあります。英語学習者として、これほど嬉しい褒め言葉はありません。
日常英語についての本を書き、日本人の大人100人以上に英語を教え、英語が母語でない唯一の参加者として重要な会議を進行してきました。
それでも、たった一杯のコーヒーを注文するだけで、列に並びながら頭の中で何度も言うことを練習してしまいます。手のひらは少し湿っていて。いちばん怖い瞬間は、バリスタが顔を上げて、私の名前を尋ねるときです。
フレンドリーなバリスタが「今日はどう?」と声をかけてくれるコーヒーショップが好きな人なら、この流れはおなじみでしょう。注文を取り、名前を聞き、飲み物ができたらその名前を呼ぶ。
前回日本に帰ったとき、この「カップに名前を書く」文化は、ちょうど広まり始めたばかりでした。それはどこか新鮮で、少し違って感じられました。日本では苗字を伝える人が多く、アメリカではファーストネームを伝えるのです。これはどちらが良いというわけでもなく、ただ礼儀の形が違うだけです。
私の考えは「郷に入っては郷に従え」(when in Rome)。その土地の文化に合わせること。
言語好きのあいだでは、これを「コード・スイッチング」(code-switching)と呼びます。状況に応じて話し方や振る舞いを変えること。私はこの、人間らしい小さな柔軟さが好きです。
だから、ファーストネームを気軽に共有する文化の中で、16オンスの紙カップのために名前を告げるとき、私はよく……偽名を使います。(ここではエイリアス[alias]と呼ぶことにします。)
夫の名前のこともあれば、娘の名前のこともあります。たいていは、その瞬間にふっと浮かんだ名前。エマ、サラ、ジェシカ、エミリー、レイチェル。
これは、プライバシーの問題ではありません。
本当の名前――サクラコ――をめぐる、ちょっとしたやり取りを避けたいのです。アメリカでは珍しい、4音節できた少し長い名前。
エスプレッソマシンが蒸気を吐き、グラインダーがレーシングカーのようにうなり、次々とドリンクが出来上がっていく中で、私は名前を一文字ずつ伝えなければならないことがあります。その瞬間は、騒がしく、せわしなく、私を焦らせます。短い名前なら、列の流れを止めずに済みます。そして、私の心も少し落ち着きます。
社交的な気分のとき、あるいは少し勇気のある日は、本名を使います。そこから温かい会話が始まることも少なくありません。けれど多くの日は、エイリアスのまま。それは、不安になりやすい私の心を守り、ほんの3分ほどのやり取りを静かに終わらせてくれます。
これは、故郷である島国を離れて10年以上暮らす中で学んだことです。アイデンティティは、流れるもの。私の見せ方は変わります。差し出す部分は万華鏡のようで、同じ欠片でも、枠が少し動けば違う模様になります。
長いあいだ、私は「本当の流暢さ」とは、異なる言語や文化の中でも、まったく同じ自分でいることだと思っていました。でも、架空の名前を小さな内緒の笑みとともに差し出すとき、その考えは少しほどけます。
カップに「Alex」と書かれていても、私は何も失っていない。
本当に私を思ってくれる人は、どんなに長くて言いにくくても、私の本当の名前を呼ぼうとしてくれる。それが本当に大切なことです。
私は、これからも練習を続けます。勇気のある日は、落ち着いた声で「サクラコ」と言います。忙しい日は、「エマ」を借りて列を進めます。どちらにしても、コーヒーの味は変わりません。それは、勇気の味。移民としての私の歩みの中の、小さな勝利です。
emoji_objects本記事のイチオシ!フレーズ
別名、エイリアス
「別名」「偽名」「通称」を表す言葉。コンピューターの世界ではファイルやプログラムに「別の名前」をつけて参照しやすくすることもaliasと言います。
She writes novels under the alias of Jane B.「彼女はJane Bというペンネームで小説を書いている」


