『“後ろめたい楽しみ”を肯定する』

英文記事執筆:SAKURACO/ 翻訳:POLYGLOTS magazine編集部

The Grammar of Life:
アメリカ在住のライターSAKURACOが、日々の暮らしや子育て、人々とのコミュニケーションの中で出会った「言葉」について想いを巡らせる隔週連載。人生をいろどり、かたどる言葉たち(The Grammar of Life)を、一緒に味わってみませんか。
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「本当にその人を知りたいなら、どんな質問をするのがいちばんいいのでしょう?」

「好きな色は?」
「好きな映画は?」
「週末はどう過ごしていますか?」

もちろん、たった一つの質問で、人の内面世界の複雑さを本当に解き明かすことなどできません。それでも私は、いくつかの質問は、その人が自分自身や世界をどう見ているのかを、小さいけれど意味のある形で垣間見せてくれると思っています。

私が特に好きな質問の一つは、これです。

「あなたの guilty pleasure(少し後ろめたい楽しみ)は何ですか?」

guilty pleasure とは、たいてい、「本当は好きでいるべきではない」と感じながらも楽しんでいるもののことです。あまりにもばかばかしいもの、あまりにも子どもっぽいもの、あまりにも大衆的なもの、あまりにもドラマチックなもの、あるいは、あまりにも“かっこ悪くて”、堂々とは認めにくいもの。

ある午後、湯気の立つお茶のカップの縁越しに、私はできたばかりの友人にこの質問をしました。私は、「Netflix のリアリティ番組」とか「深夜のジャンクフード」といった答えを予想していました。

ところが彼は少し間を置いて、こう言いました。

「うーん、実は僕は guilty pleasure という言い方に不満があるんだ。もし何かを好きなら、それについて罪悪感を持たなくてはいけない理由なんてないはずだから。僕はそれを堂々と擁護するよ。」

彼の言い方には、どこか激しいほどの強い意志がありました。でも、その声には同時にやさしさもありました。彼の答えは擁護ではありましたが、防御的には聞こえませんでした。

まるで、自分が愛しているものたちと、すでに折り合いをつけている人のようでした。まるで、自分の心を開いたあと、それを軽く払いのけられる特有の悲しみを、痛いほど知っている人のようでした。

私たちが会わなくなってからも、私は彼の答えについて考え続けていました。そして、自分自身の guilty pleasure は何なのだろう、と考え始めました。

たぶん、私の場合は Taylor Swift です。

なぜ Taylor Swift を好きでいることに罪悪感を持つのか、不思議に思うかもしれません。結局のところ、彼女は世界で最も成功しているミュージシャンの一人なのですから。でも、もしかすると、まさにそれが理由なのかもしれません。

自分を音楽に詳しいと思っている人や、文化的に洗練されていると思っている人たちのあいだでは、彼女の音楽は、「大衆的すぎる」「ポップすぎる」「感情的すぎる」「幼すぎる」と片づけられることがあります。

それでも、私は彼女が好きです。

彼女の曲を聴くと、自分の価値をちゃんと知っていて、楽しみ方も知っている、強くて自立した女性になったような気持ちになります。それでいて、やさしい心も持っている。ときには、この厳しい世界にはやわらかすぎるくらいの心を。

私に言わせれば、それはまさに golden main character energy(輝いている主人公のような雰囲気)です。

彼女の音楽は、「自分の人生をロマンチックなものとして味わう」という、とても大事な作業のための、完璧なサウンドトラックです。私は毎日そうすることを選んでいます。少し正気ではないと思われるくらいの勢いで、自分の人生を愛することに心を注ぎ込みたいからです。

そして、たぶん「guilty」の部分は、まさにそこにあるのだと思います。音楽そのものにあるのではなく、その音楽が、あまりにも率直に、あまりにも簡単に、しかも“かっこよく見られること”をまったく気にせずに、私の心を動かしてしまうという事実に。

でも、もし私たちがその罪悪感を認めながら、それでもなお pleasure(喜び)と呼ぶのだとしたら、その言葉の中には、小さな反抗が含まれているのではないでしょうか。

つまり、こう言うことです。

「はい、これはかっこ悪いのかもしれない。誰かの基準では、趣味が悪いとか、洗練されていないと思われるのかもしれない。でも、それでもこれは私に喜びを与えてくれる。もしそのせいで、“かっこよさ”の法廷で有罪になるのなら、私は喜んでその判決を受け入れる。」

考えれば考えるほど、それは自己受容を思い出させました。

self-love(自分を愛すること)は、「自分のすべてを好きになること」だと、よく誤解されていると思います。でも、本当の形は、もっと層のあるものなのかもしれません。

たぶん self-love とは、その全部を見る意思なのです。不完全さも、不器用さも、やわらかさも。かつて自分が理想としていた姿と一致しない部分も。世間の目には価値が低いと思われているのではないか、と自分で密かに思い込んでいる部分でさえも。

それでもどういうわけか、その全部と共に居続けること。

良いところも、悪いところも、全て。

たぶん、それは告白から始まります。

これが私です。
これが私の愛しているものです。
これが私の心を動かすものです。

私は、有罪です。

emoji_objects本記事のイチオシ!フレーズ

glimpse into

「〜を垣間見る」「〜の一端を知る」

ポイント

「glimpse」は「ちらりと見ること」を意味し、「glimpse into ~」で、ある世界や状況、考え方などを完全ではないものの部分的に知ることを表します。全体像ではなく、「少しだけ見える」「一端に触れる」というニュアンスが重要です。

例文

The documentary offers a glimpse into life in a remote village.
「そのドキュメンタリーは、遠隔地の村での暮らしを垣間見る機会を与えてくれる。」

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※このエッセイはSAKURACOさんが英語で執筆したものを、編集部で和訳しました。