ラフカディオ・ハーンはどうやって小泉八雲になった? 「ヘルンさん言葉」を知ろう
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の胸像 写真:Shutterstock
ギリシャ生まれの「小泉八雲」はどのように日本語を身につけたのか
ギリシャ西部のレフカダ島に生を受けたラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)は、日本へ帰化し、「小泉八雲」として約30の著作を遺しました。最晩年に発表された『怪談』(Kwaidan)に収められた「耳無芳一の話」(THE STORY OF MIMI-NASHI-HOICHI)をご存じの方も多いのではないでしょうか。今年は、彼と彼の妻、小泉セツ(節子)をモデルにした連続テレビ小説『ばけばけ』も放映されています。
一般的に「外国人にとって日本語は習得が難しい」とよく言われます。ひらがな・カタカナ・漢字と使用する文字の種類が多いこと、文法構造が(主に英語と)異なることなどが理由の一つとして挙げられます。帰化して日本で暮らすのはもちろんのこと、日本の民間伝承を題材に執筆をするとなれば日本語の習得は欠かせません。ハーンはどのようにして日本語を習得していったのでしょうか……?
二人だけの「ヘルンさん言葉」が小泉八雲を生んだ
家庭環境に恵まれず、19歳で単身渡米。そこでジャーナリストとして名をあげたハーンは、英訳版『古事記』と出会ったことをきっかけに日本に興味を持ち、40歳のときに来日、英語教師として働き始めます。言葉も文化も分からない日本でハーンの生活を支える女中として雇われたのが、後にハーンの妻となる小泉セツでした。
身の回りの世話をするとなれば、コミュニケーションは必要不可欠です。幸いにもセツは負けん気が強く、努力家。貧しい家庭で進学こそ叶わなかったものの、尋常小学校での成績は非常に優れていたといいます。セツは自分で英語の覚え書帳を作り、ハーンとのやり取りから理解した単語を自分なりに聞き書きで記録していきました。
ワター (water) 水
ボオート (both) 両方
トマール (tomorrow) 明日
ワエン (wine) 酒
レトル (letter) 手紙
初めは覚え書帳を頼りに英単語をつないで意思疎通を図っていましたが、やがて二人は独自のコミュニケーション方法を編み出します。それが「ヘルンさん言葉」です。「ヘルンさん」とはハーンのこと。正しい文法を操ることに固執せず、ハーンが理解しやすい形で日本語を使います。
ヘルンさん言葉とは? 独特なルールと使い方
ヘルンさん言葉にはいくつか法則があります。
(1) 助詞は省いても構わない
(2) 動詞や形容詞などの活用にこだわらない変換しなくてもよい
(3) 主語や動詞の順序は気にしない
(4) オノマトペを柔軟に取り入れる
「テンキコトバナイ」
↓
「天気は申し分ない(ぐらい良い)」
「スタシオンニ タクサン マツノ トキ アリマシタナイ」
↓
「駅(station)で待ち時間があまりありませんでした」
「アリマシタ+ナイ」という表現には、どことなく「was not / did not」の面影を感じませんか? 英語を第一言語とするハーンにとって「ありませんでした」を理解するよりもスムーズであったことが想像できます。適切な日本語がすぐに出てこない場合には英語も交えながら話していたようですね。
いかにも「カタコト」のように感じられますが、ヘルンさん言葉を使うのはハーンだけではありません。セツもまた、ハーンと意思疎通を図るときには敢えてヘルンさん言葉に変換していました。焼津に逗留していたハーンとセツの間で交わされた手紙のやり取りが残っています。「パパさま」はハーン、「ママさま」はセツのことです。
[セツより]
パパサマ、アナタ、シンセツ、ママニ、マイニチ、カワイノ、テガミ、ヤリマス。ナンボ、ヨロコブ、イフ、ムヅカシイ、デス。
(パパさま、あなたは親切にもママに毎日可愛い手紙を送ってくれますね。どれほど私が喜んでいるか、言葉にすることは難しいです)
[ハーンより]
ママ・サマ・アナタ・ノ・タクサン・カワイ・テガミ・アリマス・ダイク・ワ・ト・カベヤ・ワ・アリマス・ト・キク・カラ・タクサン・ヨロコブ
(ママさま、たくさんの可愛い手紙をありがとう。家に大工と壁屋が入っていると聞いてとても嬉しいです)
このようにしてセツはヘルンさん言葉を使って執筆活動をサポートし、文豪・小泉八雲の創作活動に大きく貢献しました。ハーンは「この本、みなあなたのおかげで生まれましたの本です。世界で一番良きママさん」とセツへの感謝を述べていたといいます。
互いが理解し合うために歩み寄る「フォリナートーク」
母語話者が非母語話者に配慮し、母語を簡略化して話すことを「フォリナートーク(foreigner talk)」と言います。使用する語彙を制限したり敬語を使わないようにしたり、あるいは普段よりゆっくりはっきりと発音することで、相手が聞き取りやすく、理解しやすくなるよう配慮します。街で耳に飛び込んでくるネイティブの英語はとっさに聞き取れなくても、オンラインレッスンなどで先生が指導してくれる際の英語は聞き取れる、そんな経験は皆さんにもあるのではないでしょうか。
ヘルンさん言葉も、発端は一種のフォリナートークだったのではないかと思われます。しかし14年間にわたり使われる中で二人の間で慣例化され、あるいは洗練されていったことを鑑みると、もはや新たな共通言語と言っても過言ではないかもしれません。二人のヘルンさん言葉はピジン性(共通言語を持たない集団同士がコミュニケーションを取る際に現地語と外国語が混合して生まれる言語)が強かったという研究もあります。セツのほかに親しいごく数名ほどしかヘルンさん言葉を理解できる人はいなかったそうです。ハーンとセツの次男である稲垣巖も後年、ヘルンさん言葉について「夫人(セツ)との間においてのみ完全に通用する英語直訳式の一種独特の言葉」と語り、自身も父の晩年にようやく聞き取れるようになった程度と打ち明けています。
フォリナートークもピジンも、異なる言語を操る者同士が互いに歩み寄り、思いやメッセージを伝え理解し合おうと努力する心遣いの賜物です。ハーンは54歳でその生涯を閉じるまで正確な日本語を習得することはありませんでしたが、セツの編み出したヘルンさん言葉のおかげで、後世に残る名作を残すことができたのです。
menu_book参考文献
「おばけ」と”Ghost”の違いを紐解く記事も一緒にどうぞ!
https://mag.polyglots.net/1819/ghost