「難しい言葉」の鎧を脱いで

英文記事執筆:SAKURACO / 翻訳:POLYGLOTS magazine編集部 / 写真:junpinzon / Shutterstock

The Grammar of Life:
アメリカ在住のライターSAKURACOが、日々の暮らしや子育て、人々とのコミュニケーションの中で出会った「言葉」について想いを巡らせる隔週連載。人生をいろどり、かたどる言葉たち(The Grammar of Life)を、一緒に味わってみませんか。
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類語辞典は、言語学習者としての私にとって長いあいだ親友のような存在でした。賢く、自信があるように聞こえそうな言葉を、たくさん教えてくれたからです。けれど最近、私の好きな言語好きのブロガーのサイト「Blogwig」である記事を読みました。そこでは、英語を母語としない学習者がしばしば「難しい言葉」と「高い知性」を取り違えてしまうことがある、と書かれていました。四音節の単語をたくさん詰め込んだ複雑な文章なら、自分が非ネイティブであることを隠せるのではないか、と私たちは思ってしまいがちなのです。

もう一つの指摘にも、私ははっとさせられました。着飾った言葉は、鎧のように働くことがあるというのです。誤解されることから私たちを守り、不安を隠してくれる。知的で印象に残る語彙を身につけてさえいれば、きっと誰も私たちを笑わないはずだ、と。そうすれば尊敬を得て、集団の中で自分の居場所を得られる、と。

私は、このことについては自分にも思い当たる節があります。英語でナレーションする動画の台本を書くとき、私はほとんどいつも、もっと「洗練された」響きになるようにと、簡単な言葉を別の言葉に置き換えてしまいます。いつのまにか、それが癖になっていました。実は今、この前の一文を書いたときも、「書く」を「write」ではなく「compose」と打ちそうになったのです。

けれどその著者は、大学レベルの難しい語彙で表面を飾った文章よりも、シンプルな文章のほうが強い力を持つのだと言います。シンプルな文章とは、むき出しの考えそのもの。自分の思考のいちばん正直な姿をさらけ出すものであり、それはとても勇気のいる行為です。

なぜなら、本当に考えていることを見せるのは怖いことだからです。心の柔らかい部分をさらすことになるし、評価されることにもなる。傷つくかもしれません。もし自分の考えが間違っていたらどうしよう?ばかだと思われたらどうしよう?間違っているし、しかもばかだと、思われたらどうしよう?

こうして書きながら、私はあることに気づきます。私は、自分の思考と、自分が使う言葉を結びつけてしまっているのだ、と。賢そうな言葉を使えば、自分も賢いはずだ。複雑な文章で人を感心させられたら、自分も複雑で面白い人間のはずだ。だからこれまでの私は、ただ文章や英語を良くしたかっただけではなく、英語で話したり書いたりするときに、ある特定の自分像を見せたいと思っていたのです。

大人になってから新しい言語を学ぶことが、どんな気持ちになるかを考えれば、これは自然なことかもしれません。ときどき、自分の知性そのものが、自分の語学力のレベルまで縮んでしまったように感じることがあります。そして実際、人からそのように扱われることもあります。

年配の人が、日本語を母語としない話者に、まるで子どもに話すかのように話しかけている場面を見たことはありませんか。ほかの人には敬語を使っているのに、非ネイティブにはゆっくりと、はっきり発音したタメ口で話す、あの声です。タメ口とは非常にくだけた話し方で、敬語は丁寧な言葉遣いのことです。私はそれを何度も目にしてきましたし、自分自身がそのように話しかけられたこともあります。そういうとき、人は小さく、無力な気持ちになります。

だからこそ私は、盾と兜を手に取ったのでしょう。だからこそ私は、メールやメッセージの「送信」を押す前に、ChatGPTで何度も確認してしまうのでしょう。評価されることへの恐れが、私の自尊心やプライドに爪を立てて絡みつき、気がつけば私はずっと防御的になっていたのです。

では、どうすればこの鎧を脱ぎ、弱さを見せられるのでしょうか。

「courage(勇気)」の語源は私のお気に入りです。その語源には「自分の心をすべて語る」という意味が含まれています。勇気とは、人に感心してもらおうとすることではなく、本当に思っていることを、心から語ることなのだという考え方が、私は好きです。

だから、ここで本当に言いたいことはこれです。私は、自分という人間を見てもらいたい。そして、声を聞いてもらいたい。どの言語を使っていようと、どれほどのレベルで話していようと、対等な人間として扱われたいのです。

でも同時に、私は怖いのです。自分は十分ではないのではないか、自分の考えは十分ではないのではないか、と。退けられること、無視されること、存在を素通りされること、自分には関係がないと判断されてしまうこと。それはとても怖いことです。私たち人間は社会的な生き物です。コミュニティやつながりの中でこそ、生き生きとします。

私がこれまで類語辞典に強く惹かれてきた理由も、結局はとても人間らしいものだったのだと思います。私は賢く聞こえるためだけに言葉を集めていたのではありません。身を守るものを集めていたのです。でも、もしかしたら、少し肩の力を抜いてもいいのかもしれません。私が本当に求めているのは、つながりなのですから。そして、そのためにはシンプルさで十分なのです。しかも、とても美しく。シンプルでクリアな言葉は、私を小さくするものではありません。むしろ、私をちゃんと見えるようにしてくれるのです。

だから、これが私です。自分の不安と、いちばん深い願いを、飾らない英語で差し出しているところです。

emoji_objects本記事のイチオシ!フレーズ

What if ~ ?

「もし〜だったらどうなるだろうか」「もし〜したらどうだろう」

ポイント

「What if ~ ?」は、ある状況が起きた場合の可能性や結果を考えるときに使う表現です。心配・提案・想像など、さまざまな場面で「もし〜なら?」と相手に考えさせる問いかけになります。

例文

What if what we are thinking is wrong?
「もし、私たちが考えていることが間違っていたらどうだろう。」

 

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