【W杯開幕!】オランダを象徴する色「オレンジ」に込められた意味

ついに開幕したサッカーワールドカップ。日本チームは初戦である対オランダ戦を6月15日に控えています。

サッカーのオランダ代表と聞いて、まず思い浮かぶのは鮮やかなオレンジ色のユニフォームではないでしょうか。試合の日には、選手だけでなく応援する人々もオレンジ色の服や小物を身につけます。

オランダ国王の誕生日を祝う「キングスデー」でも、オレンジ色は欠かせない色です。この日、街は人々が身につける小物や建物の装飾で、オレンジ色に染まります。

なぜオレンジ色はオランダを象徴する色になったのでしょうか。

この記事では、オレンジ色に込められた意味を、歴史や文化の面から見ていきます。

オレンジ色に込められた、自由と独立の記憶

オランダに根付く「オレンジ色」の歴史を語るうえで欠かせないのが、16世紀の人物、オラニエ公ウィレム1世です。

当時、現在のオランダにあたる地域は、スペイン・ハプスブルク家の支配下にありました。宗教や政治をめぐる対立が深まる中で、スペインの統治に対する反発が強まり、やがて独立を求める大きな動きへとつながっていきます。

その中心人物の一人とされるのが、オラニエ公ウィレム1世です。彼はスペインに対する反乱を率いた人物として知られ、後に「建国の父」とも呼ばれるようになりました。「オラニエ」は、英語では 「オレンジ」という意味です。もともとは現在のフランス南部にあったオランジュ公領に由来する称号で、ウィレム1世はこの称号を受け継いでいました。

独立の歴史と深く結びついた人物の称号が 「オレンジ」 だったことから、オレンジ色がオラニエ=ナッサウ家を象徴する色として受け止められるようになったと考えられています。

また、現在のオランダ国旗につながる旗として、かつてはオラニエ公にちなんだオレンジ・白・青の三色旗が使われていました。後にオレンジ色は徐々に赤へと変わり、現在の赤・白・青の国旗になったとされています。

国旗の色は変わりましたが、王室に関わる行事やスポーツ、祝祭の場面では、今もオレンジ色が特別な色として使われています。

このように、オレンジ色は単なる王室のシンボルではなく、支配に立ち向かい、自分たちの国を形づくろうとした歴史を思い起こさせる色でもあります。
だからこそ、オレンジ色には自由や独立のイメージが重ねられてきたのでしょう。

サッカーの試合やキングスデーで人々がオレンジ色を身につけるのも、オランダという国への親しみや自由への喜びが込められていると考えられます。

オランダはなぜ「自由の国」と呼ばれるのか

オランダは、しばしば「自由の国」として語られることがあります。

その背景には、オランダが古くから寛容さや多様性を大切にしてきた歴史があります。
北海に面し、川や運河を通じて多くの人や物が行き交ったオランダでは、異なる言語や宗教、価値観を持つ人々と共存することが、都市や商業の発展に欠かせませんでした。

また、宗教改革以降のヨーロッパでは、信仰の違いをめぐる対立や迫害が各地で起こりました。その中でオランダは、比較的自由に出版や商業活動ができる場所として知られ、ユダヤ人やプロテスタントなど、迫害を逃れた人々が身を寄せる土地にもなっていきました。

現代の制度を見ても、オランダは比較的開かれた国として知られています。

オランダは2001年に世界で初めて同性婚を法制化した国です。また、人の生死や尊厳をめぐって世界中で慎重な議論が続く安楽死についても、厳しい条件のもとで法律上の例外として認められています。

古くから異なる価値観を持つ人々が行き交い、共存のあり方を模索してきた歴史や、個人の自由と平等を重んじる社会風土は、こうした制度が生まれる土台になってきたと考えられます。

歴史と地続きの社会風土、そして自由を理念だけで終わらせず制度として整えてきた姿勢が、オランダを「自由の国」として印象づけているのかもしれません。

アムステルダムの愛称、Mokum(モクム)

アムステルダムには、Mokum(モクム) という愛称があります。

もとはヘブライ語の makom「場所」に由来するイディッシュ語で、ユダヤ人の人々の間では「安全な場所」という意味を持つ言葉として使われてきました。

アムステルダムは、ユダヤ人の人々にとってまさにMokumでした。宗教的な迫害から逃れてきた人々が身を寄せ、比較的自由に暮らすことのできる都市の一つだったからです。

アンネ・フランクの一家も、安全な場所を求めてアムステルダムに移り住んだ家族の一つでした。

アンネはドイツのフランクフルトで生まれました。しかし、1930年代にナチスが政権を握ると、ドイツではユダヤ人への差別や迫害が強まっていきます。アンネも、迫害を逃れるために家族とともにオランダへ移り住みました。

しかし、オランダ占領後、ユダヤ人への迫害はアムステルダムにも及びます。アンネの一家は、父オットー・フランクの会社があった建物の奥にある隠れ家で、約2年間にわたって身を隠して暮らしました。

その間にアンネが書き続けた日記は、のちに『アンネの日記』として世界中で読まれるようになります。しかし、1944年に隠れ家は発見され、アンネと家族は強制収容所へ送られました。アンネは終戦を目前に、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなったとされています。

アムステルダムには、今もアンネ・フランクの家が残されています。それは、この街がかつて多くの人にとって身を寄せる場所であったことと、同時にその自由や安全が戦争によって失われた時代があったことを伝えています。

だからこそ、現在のアムステルダムが多様な人々を受け入れる街として知られていることには、より深い意味があります。性のあり方、人種、宗教、文化的背景の違いを超えて、自分らしくいられる場所であろうとする姿勢は、Mokumという愛称が持つ「安全な場所」という意味を受け継いでいると言えるのではないでしょうか。

自由の国、オランダを象徴する「オレンジ」。その色の意味を知ると、サッカーチームのユニフォームやオランダの街の風景も、少し違って見えてくるかもしれません。