日本語の「檻」の中で自由に生きる
文筆家・伊藤亜和インタビュー(1/2)

進行・構成:POLYGLOTS magazine編集部 写真:Coco Taniya 撮影協力:トロワ・シャンブル

POLYGLOTS magazine独占インタビュー、今回は、新進気鋭の文筆家として大きな注目を集める伊藤亜和さんにお話を伺いました。noteに掲載したエッセイ「パパと私」をきっかけに注目を集め、以降『存在の耐えられない愛おしさ』『変な奴やめたい。』などの著作を発表してきた伊藤さん。2026年3月には第19回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」*を受賞し、5月には初の絵本作品『モプーはヘンダ』を刊行するなど、活動の幅をさらに広げています。

伊藤さんの文章には、言葉を扱うことへの緊張感と、その緊張をふっとほどくようなユーモアがあります。日本語を間違えることへの怖さ、相手に届く言葉を探す面白さ、そして誰かの言葉に傷ついた時に、その背景にあるものを想像しようとする姿勢。言葉に対するその繊細な感覚は、エッセイだけでなく、今回の絵本制作にもつながっているといいます。

今回のインタビューでは、伊藤さんが言葉に向き合うようになった原点をはじめ、文章を書くこと、言葉を相手に届けること、そして初の絵本作品『モプーはヘンダ』で「変」という感覚をどのように描いたのかについて、じっくりと伺いました。
言葉に悩み、言葉に救われながら、自分なりの表現を探し続ける伊藤さんの語りからは、日本語という「檻」の中で、自分の芯を手放さずに生きていく静かな強さが伝わってきます。

*「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」:日本語による「哲学エッセイ」を確立した文筆家・池田晶子氏の意思と業績を記念して 、新しい言葉の担い手に向けて創設された賞

「文筆家:伊藤亜和」になるまで

—— まずは、伊藤さんご自身についてお伺いします。これまでの歩みについて、簡単に教えていただけますか。

私は本牧っていう、横浜の中区、山下公園のそばで生まれました。

以前は米軍の住宅地区があったようです。電車も通っていない地域で、外国の方たちの住宅街もありましたし、ネオンが光るハンバーガーショップがあったり、少し異国情緒のある場所でした。

土地柄、ほかの地域よりは私のようなミックスルーツ*の子たちが普通にいる場所だったのかなと思います。だから、ものすごくいじめられたとか、差別にあったという経験は、これまでもそれほどないです。高校まで公立で、周りの子と同じように育てられました。

*ミックスルーツ:複数の国や地域、異なる文化や民族的な背景がルーツにあること

—— ご著書の中で「高校時代は友達がいなかった」というようなことを書かれていましたが、どんなふうに過ごされていたのでしょうか。

高校時代はかなり閉じていた時期でした。自意識が強かったので、そういうタイミングだったんだと思います。
入学した高校は女子が7割くらいで、活発な人が多い環境だったんですけど、自分とタイプが違う人たちとの接し方があまりわからなくて。元気がないと思われるのも嫌だし、心配されたり、気遣われたりするのも嫌だし・・・と思うと近づけなくて、自然と孤立していきました。

—— 大学ではフランス語を学ばれていたんですよね。高校時代に何かフランス語を学びたいと思うきっかけがあったんでしょうか?

それまで外国語にはほとんど触れてきませんでした。幼稚園の時に、父親にアメリカ人が先生をしている英語教室に入れられたのですが、全然身につかなくて。最終的には父親と先生が大喧嘩してやめさせられました(笑)。

そこからは、みんなと同じように学校で「国際理解」みたいな授業を受けるくらいで、言語の方には進みませんでした。

母親が私より先にフランス語に興味を持っていたこともあって、大学に進学する際に「この学科に行きなさい」と私立大学のフランス文学科を勧められました。私の偏差値でぎりぎり入れそうなところでもあったし、父親がフランス語圏(セネガル)の人間なので、面接で話すストーリーも作りやすいだろうという目論見もありました。それで受けてみたら受かって、そのまま。

—— フランス文学科では、どのようなことを学ばれていたのでしょうか。

最初の2年間は、ひたすらフランス語を勉強していました。紙の辞書を持っていって、テキストを読み込む。前半で文法を叩き込まれて、そこからは映画を見たり、フランスの哲学の授業があったり、小説や思想のテキストを読み込んだり。とにかくたくさんフランス語を読んでいました。

ゼミはフランス人の先生だったんですけど、フランス語をもっと学びたくて選んだわけではなくて。卒論を自由なペースで書かせてくれる人だったので、その先生にしました。

ゼミでは全部フランス語で授業をしていたんですけど、1年間、先生の言葉は一言も聞き取れなかったです。ただ音を聞き流しているだけでした(笑)。

—— お父様はフランス語圏の方ですが、大学でフランス語を学ばれていた時期は、お父様とはあまり連絡を取っていなかったんですよね。

そうですね。大学に入ってすぐ喧嘩をしたので。

でも大学の面接では、父親がフランス語圏の人間だから、意思疎通ができるようになりたい、というふうに話していて。それも本心だったと思います。

ただ、私が座学で学んでいたフランス語と、父が生活の言葉として使っているフランス語は、おそらく全く同じというわけではなくて。父はいわゆる「アフリカ・フランス語」を使うので、発音や語彙なども違うところがあるようです。

私が少しかぶれていた時に、「我思う、ゆえに我あり」という言葉をフランス語でLINEのプロフィールに書いていたんです。それを父親が見て、「何を言っているか全然わからない」みたいなことを言っていて。

やっぱり、私が学んでいたのは机の上にある学問的なフランス語でしかなかったんですよね。だから今となっては、体当たりで習得しなければ、あまり意味がなかったんじゃないかなと思います。

—— 今はお父様とLINEなどでフランス語でお話しすることもあるんですか。

はい。文面だと伝わります。向こうはかなり砕けた文法で書いていたりもしますが。

—— 大学での学びを経て、外国語への興味はどうなりましたか。

その後は、全くフランス語に関心を示すことはなかったですね。終始興味が湧かなかったんです。大学を出たことで、外国語に興味がないことだけがわかりました(笑)。

—— 大学を卒業したあとは、どのように過ごされていたのでしょうか。

ほとんど就活をしなかったので、そのままフリーターとして世に放たれて。

ガールズバーで働いていたんですけど、その後にバニーガールを始めて、今もレストランでバニーガールをやっています。今は月に数回しかできていないですが、バニーガール自体は11年くらい続けています。

高校でほとんど友達ができなかったということもあって、「人と喋る練習をしよう」と思って始めたことだったんです。ある程度コスチュームに引っ張られて、普段の自分とは違う、コミュニケーションを取れる自分が出てくるところがあると思います。

バニーガールの衣装を着た時しかいない私がいて、たまにまだ、居場所を作ってあげているんですかね。バニーが脱げると、そいつも死ぬので。

—— 伊藤さんは、note「パパと私」がSNS上で大きな反響を呼んだことをきっかけに現在のお仕事を本格的にスタートされたそうですが、文章を書くことは、いつ頃から始められたのでしょうか。

大学時代からnoteをやっていました。Twitterの延長線上で日記みたいなものを書いていました。でもそんなに真剣にやっていたわけではなくて、4ヶ月に1回くらい、気が向いたら2000字にもならないくらいの短いものを書く、というだけです。

—— 文章を書く時は、最初から内容を決めて書き始めているのでしょうか。

内容は書きながら思いつくんです。主張とかがあるわけじゃないから、自ずと自分の話ばかりになります。「これを書こう」とテーマだけ決めて書き始めて、書き上げるともう忘れちゃうんですよね。

それで、後から自分の文章を読み返して「え、面白い」みたいな。「誰が書いたんだこれ?」って(笑)。

で、「それに比べて今の私は…」って思いながら書き上げた記事をまた数ヶ月後に読んで「え、面白い」って。その繰り返しです。

言葉の眩しさに惹かれて

—— ご著書の中で、伊藤さんは幼少期に合唱団に所属されていたと書かれていましたが、当時の経験が伊藤さんが「言葉」を意識するきっかけにもなったのでしょうか。

そうだと思います。

もともと小学校の音楽クラブに入っていて、そこで音楽の先生に勧めてもらい、合唱団に入りました。そのまま小1から高3まで続けています。

音楽クラブに入ったきっかけは、小学校で月に1回「音楽集会」という時間があったことです。毎月「今月の課題曲」をもらって、それを全校で合唱するんです。

初めてその時間に参加した時に、歌うことがすごく楽しいと感じて。それが、合唱に惹かれた一番最初のきっかけだったのかもしれません。

—— 合唱団を長く続けられていた中で、特に印象に残っている曲はありますか。

いろいろありますけど、宗教曲が好きでした。その中でも、「ラシーヌ讃歌」という曲がすごく好きですね。

もともとフランス語の曲を日本語に訳したものを歌っていたんですけど、神に対してしか使われない言葉だったり、日常では使わない日本語がたくさん入っているんです。

細かく読んでいくと、子どもでも、なんとなく何を言っているのかがわかる。その楽しさがありました。メロディーも相まって、言葉の持つ厳かさみたいなものに惹かれていきました。

—— 歌を通じて、言葉そのものに興味を持つようになったわけですね。

当時は今よりもはるかに口下手だったので、言えないことがとても多かったんです。だから歌は、「発散」になっていたと思います。

人に対して、好きとか、楽しいとか、嬉しいとか、そういう最低限のこともあまり言えていませんでした。だから、歌の中の言葉の眩しさみたいなものを、より強く感じていたんだと思います。

—— 普段の生活では言えないことも、歌の中では言葉にできた。

そうですね。今でも言えないことは多いから、本に書いています。

—— 伊藤さんは今とても美しい日本語で文章を書かれていて、先日、優れた表現者に送られる「わたくし、つまりNobody賞」を受賞されましたが、ご自分が「”日本語”で文章を書く書き手」であるということを強く意識されていますか?

私は生まれてからずっと、「日本語が喋れるかどうか」という段階でジャッジされてきた存在なので、人よりも言葉をしくじった時の損失が大きいんじゃないかと、子どもの頃から思っていたんだと思います。

だから、「間違ってもいい」という意識がなかった。日本語を間違えると、「ああ、やっぱりわからないんだ。ガイジンだから」と思われるんじゃないか、という気持ちがあったんだと思います。

誰かに具体的にそう言われたわけではないんですけど。負けず嫌いな部分もあるし、ちょっとプライドが高い部分もある。人に間違いを指摘されたくない、という気持ちがあるんだと思います。

—— 日本語への意識は、今たくさんの人に文章を読まれるようになってから、変化しましたか。

書いているものを「すごい」と褒めていただくと、普段は使わない日本語や、全員が知っているわけではない言葉を使えばもっとすごく見えるんじゃないか、という気持ちが湧いてきてしまうんです。それをどう抑制するかは、最近よく考えます。

私も全然、難しい言葉をたくさん知っているわけではないんですけど、やっぱりいろんな人が読めるものを書いてこそだと思うので、独りよがりにならないようにバランスは取らないといけないなと思います。

—— ご著書では、「心から日本語を好きだと思えたら、もっと豊かな表現ができるのではないか」というようなことも書かれていました。今、日本語を好きでいられていますか。

日本語は好きです。使うのも好きです。

最近、「日本語のどの部分が好きですか」と聞かれることがあるんですけど、他の言語を習得していないと、それってわからないんじゃないかという思いがあります。

それを知らないまま、「ここが好き」とか「ここは日本語にしかないものだ」と決めつけてしまうと、それは歪んだアイデンティティになり得るというか、思想にも影響してくるような気がして。だから、あまりそういうことは考えないようにしています。

でも、日本語は好きです。好きだし、結局ここから出られなかったので。少なくとも今まで私は、日本語という言語の外に出ることはできなかった。だから、自分にとって日本語は「檻」みたいなものなのかな、と思います。

言葉を届けること、受け取ること

—— 伊藤さんは話す時も丁寧な言葉を使っていらっしゃる印象がありますが、意識してそうされているんでしょうか。

比較的丁寧な言葉で話すのが、自分にとって一番ニュートラルな状態なのかもしれません。

昔は、日常で使うような砕けた言葉を毛嫌いしていたと思います。「けしからん」という気持ちで虚勢を張っていたので、友達もできなかったのかもしれません。

でも今は、そういう言葉も楽しんで使うことがあります。

日本語が檻だとしたら、その中でより自由に動いた方が楽しいなと、やっと年をとって思い始めることができました。それぞれの場面に合う言葉を使うことで、少しだけ普段の自分から離れられる。それを最近は楽しめています。

以前「砂場に礼服を着ていく」という表現を使ったんですけど、言葉遣いがかっちりしすぎているのが、すごく奇妙に見える場面ってあるじゃないですか。だから、今はむしろそこからどう崩していくかを意識しています。

普通に喋っていたら、声質も相まってどうしても落ち着いた感じになる。株主総会みたいな。株主総会に行ったことはないですけど。話している相手が身構えてしまうこともあると思うので、どちらかというと、力を抜く方にエネルギーを使っていますね。

—— 言葉の使い方や届け方を意識していると、とっさに出た言い回しや言葉遣いが間違っていたことに後から気づいて、かなり引きずってしまうことがあると思います。伊藤さんもそういうことはありますか。

ありますね、すごく気にします。後から「あ〜、このことわざ、使い方間違ったな」みたいな。
聞いた人には消えてもらわないと。もう「生かしておけぬ」って思います(笑)。

—— 相手が言葉を間違えて使っているのを聞いた時も、気になりますか。

人が「拝見してください」とか、誰かに言っているのを聞くと、「どうしよう」と思います。「聞いてしまった。私、この後殺されるかも」って。

指摘してあげた方がいいんですかね。でも言うと、すごいめんどくさいやつだと思われますよね。
すごくデリケート。もう、誰かに、口が臭いことを指摘するのに近い言いづらさがあるような気がします(笑)。

—— 日本語や言葉の使い方を意識していると、相手に言われた言葉の意味を考えすぎてしまったり、忘れられなかったりすることもあると思います。悪意のない言葉に傷ついた時は、どう受け止めていますか。

まず、相手には言えないですね。私は傷ついた、ということは。

私が「傷ついた」と言うことで、相手はきっとショックを受けるじゃないですか。「そんなつもりじゃなかった」って。それが嫌なんです。

自分に対して発せられた言葉が、自分だけでなくほかの誰かも傷つける可能性がある時、言われた側はそれを指摘する責任がある、という考え方もありますよね。でも、その指摘が、必ずしも「自分が本当に言いたいこと」とは限らない。みんなが「私が言わないと、ほかの人も困るから言わなきゃ」と思えるわけじゃないと思うんです。

だから私は、相手にそのような指摘はせずに、どういう事情でその言葉を使ったのか、相手の中ではどういう意味だったのかを「考え」ます。もちろん、それで全部納得できるわけではないですけど。

たとえば私が祖母から言われた言葉*に関しても、その頃私もまだトゲトゲしていた時期だったので、その言葉だけを捕まえて、ひどいことを言われたと感じてしまったんだと思います。

でも、おばあちゃんの中のボキャブラリーがあるじゃないですか。だからあの「あんたみたいな」という言葉は、必ずしも悪い意味ではなかったと思うんです。
身内に対するからかいというか、おばあちゃんからしてみたら愛情じゃないですか。身内を腐す、みたいな。

だから、どういう事情でそういう言葉を使うに至ったのかを、いろいろ想像して飲み込もうとするところはあります。それでも飲み込めない場合があるかもしれないですけど、今のところはそう思います。

*モデルの仕事を終えた伊藤さんに、おばあさまが「一流のモデルを使えないから、あんたみたいなのを使うんだね」と言った出来事。『わたしの言ってること、わかりますか。』収録の「あんたみたいな」参照)

—— できるだけ、その言葉の背景を想像するということですね。

はい。できるだけポジティブに変換するというか。でも、それはその人のためにはきっとならないですね・・・。