日本語の「檻」の中で自由に生きる
文筆家・伊藤亜和インタビュー(2/2)

進行・構成:POLYGLOTS magazine編集部 写真:Coco Taniya 撮影協力:トロワ・シャンブル
「変」はどこからやってくるのか
—— ここからは、伊藤さんが今年5月27日に発売された、初の絵本作品『モプーはヘンダ』についてのお話も伺えればと思います。

モプーはヘンダ 特設サイト
作:伊藤亜和 絵:出口かずみ
一緒にいると、傷つけてしまうこともある。
だけどそれでも、一緒に笑えば、きっと楽しい。
絵本を拝見して印象的だったのが、この物語では「変」というものが、最初から本人の中にあるものというより、外から投げつけられて、いつの間にか大きくなっていくもののように感じられたことでした。伊藤さんにとって、「変」は外から来るものなのでしょうか。
そうですね・・・。私に関しては容姿のこともあるので、自分を「あ、変だ」と思ったのは、外からの情報を得てのことだと思うんです。
でも、私のことを「変だ」と感じる人たちも、さらに外側からの価値観を植え付けられて、「この人は変なんだ」と思っているのかもしれない。
直接的に「変だ」と言ってくる人もそんなにいないですし、そういうものって、言葉にならない姿勢とか、説明しづらい扱い方とかに表れるものなので。本人たちも、「この人は変だ!」と思っていることを自覚していないのだと思います。
—— 価値観として内面化されているから、言葉にしなくても態度として出てしまう。
みんな、自分の持っている偏見を隠そうとして生きていると思うんです。でも、それはやっぱり伝わってしまっている。
—— 以前、伊藤さんが「変な奴やめたい」というnote記事を書かれた時、SNSで大きな反響があり、いわゆる炎上のような状態にもなりました。これも「変」にまつわる体験だと思うのですが、今振り返ってどのようにお考えですか。
あの時はある種、不幸自慢大会みたいになってしまったところがあって。
みんな、自分は変だと自覚している部分があると思うんです。それぞれ、自分はみんなと違うと思っている。でも、それを矯正していかなきゃ生きていけないという価値観の中で、大半の人は会社に入って、組織の中で大人として振る舞いながら生きていかなきゃならない。
その中で、私は「自分は変だ」と言って、就職もしないで文章を書いてヘラヘラ過ごしている。そう見えると、やっぱり許せなくなるのかなと思います。
「微熱」に近いね、という話を別のところで書いたんですけど、「みんなも辛い中頑張っているのに、37度5分程度の熱で休むな!」という反応だったと思うんですよね。
—— 絵本の中では、「変」が最後には個性のようなものとして描かれているようにも感じられました。この物語は、「変を肯定しよう」という話として受け取っていいのでしょうか。
変を肯定していこうというよりは、あくまで物語の中で、モプーの身体的な、変えられない「変」という悩みからモプーを救い出すために、みんなが自分の「変」を引き合いに出してくるんです。
でも、それって大人の考える「変」とは深刻度が全然違います。本当にくだらないことだったりする。最後のシーンを大人が見ると、不誠実というか、不謹慎に見えるかもしれない。「モプーはこんな深刻な悩みを持っているのに、そんな自分のしょうもないことを引き合いに出して」みたいな。
そこは悩んだんですけど、モプーを助けたいという気持ちが純粋なものだったら、それが最優先に来るんじゃないかなと思って描きました。
だから、「変」を肯定するというよりは、私はもっといろんな対処法が、うやむやになっていけばいいと思っています。
悩んで悩んで掘り詰めたところに一体何があるのか。結局、自分ではどうしようもないシステムの問題や社会の問題にぶつかって、容易には解決できないこと、自分が生きている間に解決されるかわからないことが、山ほどあるじゃないですか。それについて悩み続ける人生になってしまう。
もちろん、それを変えていくべきだと行動している人がいるからこそ、今の時代がきっとあるのだと思います。でも、自ずと「使命を感じなかった人」たちが、自分の人生の中で、いろんな解釈をしながら、のらりくらりかわしていくことも、肯定されていいんじゃないかなと思います。
どっちもいていい。社会のために行動している人はすごく尊いと思うけれど、全員がそれを担うことはできないと思っています。
自分と付き合いのある人たちの間で、居心地よく生きていく。それが結果的に大きな輪になって、穏やかな世の中につながることもあるんじゃないかなと思っているんです。
—— モプーの場合も、もっと怒るべきだ、という見方もできるかもしれません。
そうですね。モプーが「もう許さないから、お母さんに言いつける」となったら、もうこの話は終わりじゃないですか。彼らの関係性も終わりじゃないですか。
最初に絵本のビジュアルが出た時にも、世の中を変える、その啓蒙としての絵本であることを期待しているような反応がありました。
でも、私はそうしたくなかったんです。宣伝の文言も、帯も、差別とかマイクロアグレッションとか、そういう言葉を一切排除しました。誰にでも手に取ってもらえるようにしたかったんです。
無意識に「自分は外国人に偏見があるかもしれない」とか、「差別と区別は違うからしょうがないよね」と思っている人は、「マイクロアグレッションについてみんなで学ぼう」という人たちが近づいてくると、「私はそうじゃない」とか「私には関係ない」とか思ってシャットアウトしてしまうと思うんです。
だから、それは「怒り」とか、「正しいこと」として、物語にするべきではないと思いました。
—— 結果的に、子どもたちが手に取って、社会のことや人権の問題に自然に触れるきっかけになることはあるかもしれませんね。
結果的にそうなるのは、もちろん素晴らしいと思います。

—— 絵本は、普段書かれているエッセイとはかなりテイストが違うと思います。文字数を減らしたり、言葉を考え直したり、いろいろ大変だったのではないでしょうか。
文字数は最初の原稿から3分の2ぐらい削ったと思います。
それはもう、自分ではできなかったですね。どこが不要か自分ではわからないので、編集の人にざっくり削ってもらいました。それを見て、「確かに」と思いながら文章を整えていった感じです。
言葉自体を変えることは、そんなになかったと思います。ただ、コンプライアンスとか、教育上微妙だなというところは表現を変えました。
友達の話にも、もともとは「女の子なのにロボットが好きなの?」みたいな言葉があったんです。でも、もはや今はその時代ではないということを、ちゃんと教えていただいて。
自分ももう生まれて30年ですから、今の子どもたちのベースの価値観とはやっぱり違っているんだなと。そういうことを一つひとつ確かめながら作っていったので、勉強になりました。
—— 対象年齢としては、どのくらいの子どもたちをイメージしていますか。
小学校に入ったぐらいの子をイメージして書きました。
小学校に入ると、一気に世界が開けるじゃないですか。幼稚園も親から離れる場所ではあるけれど、送り迎えがありますし。小学校に入ると、急に自由時間というものができる。そういう年齢の子を思い浮かべていました。
—— エッセイと絵本では書く過程に違いはありますか。
エッセイは自分をわかってほしいという気持ちで書いています。自分がどう考えているかを含めて、なるべく全部の情報をぶわーっと人に押し付けるような書き方をするんです。
でも絵本に関しては、どれだけ余白を持たせられるかを考えました。自分の主張めいたものをどれだけ入れずに、考えてほしい「枠」だけを伝えられるか試行錯誤しました。
エッセイは、内容について聞かれたら、自分の行動の中からある程度答えが見つかるんです。
でも絵本のような創作物は、なんで私はこういうふうに考えて書いたんだろう、と一回探さなきゃいけない。インタビューを受けながら、自己心理テストみたいなことをやらなきゃいけないんだなと気づきました。
—— モプーは、伊藤さんの弟さんがモデルになっているんですよね。
はい。キャラクターは弟の姿をしていますし、家から出られなくなったという出来事も弟のことではあります。
ただ、モプーの考え方やものの見方は、まるっきり私ですね。人にがっかりしてほしくないとか、基本的にみんなと仲良くしたいとか、自分が傷ついていることに気づきづらいとか、みんなが自分のことで悲しんだりするのが何より嫌だとか。そういう考え方は、私の性格だと思います。

「檻」の中で自由に表現する
—— このメディアの読者には、英語学習に挑戦している方が多いのですが、改めて伊藤さんにもこれからの語学について伺わせてください。
先ほど、日本語は自分にとって「檻」のようなものだというお話がありました。一方で、「外国語に興味がないことがわかった」ともおっしゃっていましたよね。今後、日本語以外の言語との距離感をどのように考えていますか。
これからいろんな言葉を学んでいくということは、ないと思います。ないと思いますけど、「ない」と言い切ってしまうと、また頑固に守っているような感じもして。
私の感覚としては、日本語の檻は、ドアが開いているんです。
—— 意外と、出ようと思えば出られるんですね。
はい。出て行けるのはわかっているんです。
「この檻から自分は出られないんだ。だからここで生きていくしかないんだ」となると、また変な煮詰まり方をしてしまうと思うんです。
だから、「いつでも出られるんだけど、とりあえずここにいる」という感じです。

伊藤亜和(いとう あわ)
1996年横浜市生まれ。文筆家。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業。
noteに掲載したエッセイ「パパと私」がX(旧Twitter)でジェーン・スー氏、糸井重里氏らの目に留まり、注目を集める。著書に『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)、『変な奴やめたい。』(ポプラ社)など。
テレビ・ラジオ番組でも活躍中。これまでの出演番組に『サンデージャポン』(TBS)、『クイズ 本当にあったことです!』(NHK)などがある。
Podcast番組「垣花正と伊藤亜和の出たとこ勝負の二人」「伊藤亜和のお手上げラジオ」ではメインパーソナリティを務める。2026年3月、「第19回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」受賞。
わたしの言ってること、わかりますか。/ 光文社
アワヨンベは大丈夫 / 晶文社
モプーはヘンダ / KADOOKAWA
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