平野と伊藤の「よけいな話」#1 AIとディナーショー(2/2)

イラスト:スミアヤカ

「正しい言葉」に直したら、その人の歴史はどうなる?

平野

あと一番腹立つのが、「ネイティブはそういう言い方しないです」みたいなこと言ってくるわけ。
「いいんだよ、ネイティブじゃねえんだから」って。いまだにそういうこと言ってるからダメなんだよねってこっちは思うわけですよ。

伊藤

うんうん。

平野

ネイティブの作法を絶対視してそこに合わせるっていうのも、それは標準化されたフランス語にしていくってことなんだけど、そうしたら「そこに僕がいなくなるでしょ」って思うし、第一言語ではない言語で表現活動をしている、いわゆる越境作家って言われる人たちも、みんな自分たちなりの言語運用を発見していくわけじゃないですか。

だから、「フランス語ネイティブには書けないフランス語を書くんだよ」って思ってるのに、それをバンバンならそうとしてくるから。

伊藤

私もお父さんとLINEでやりとりしてて、お父さんは日本語書けないので、(お父さんとのLINEを)AI翻訳にかけたりするんですけど。AIがお父さんの文法を、「フランス語としてはあんまり正しくないです」みたいに言ってくるんですよね。

でも、実際にそれを使って生きてるわけだし、正しいか正しくないかの基準で測られちゃうと、そこに生活してる人とか、ここの植民地になってとか、そういう歴史みたいなものも全部なかったことになるというか。

平野

それは本当にその通りだと思う。今僕が訳してるのはコートジボワールの作家で、今までにもセネガルとかカメルーンとか、いろんなところの作家のフランス語を訳してきて、「これは一体どういうフランス語ですか?」って思う局面はたくさんあったけど、結局それは「それぞれのフランス語」なんだよね。

アフリカではよくこういう言い方をするとか、この表現がこういう意味で使われるのは普通、みたいな。だから「正しいフランス語じゃない」っていう位置づけはおかしくて、「このように進化してきた」わけで。それぞれの言語の形や、そこに宿ってる時間と歴史を発見していくっていうのは面白いですね。

伊藤

同じ話かわからないですけど、青森の弘前(ひろさき)ってあるじゃないですか。
弘前って、読みづらい。「前」と書いて「さき」だから。

私たち県外の人はみんな教科書とかで習った通り「ひろさき」って読んでるけど、うちのおばあちゃん曰く昔弘前以外に住んでた青森の人たちの中には「ひろまえ」って読んでる人もいたらしくて。

だからといって「ひろまえって読むのは間違ってます」っていうのもおかしいと思うし、そこでは「ひろまえ」って呼ばれてたっていう事実が実際にあるわけだし。
そういうのをただ直されちゃって、そういう話もなくなっていったら、この後に残る歴史ってなんなんだろうっていう。

平野

標準化されていくとね。そうだね。
最近、実務翻訳の人で、納品したら先方から「念のためAI(の翻訳)でチェックしてみたらちょっと違うみたいなんですけど」みたいな連絡が来て、それに説明する労力を費やすのがつらい、みたいなSNS投稿を立て続けに見たんですよ。

その人が、「AIが基準で、人間の方が偏差(基準・標準からずれている)として扱われる」って嘆いてたのを見て、まあわかるけど、それは実はまだ全然マシなフェーズなんじゃないかって思って。人間が「偏差を出す側」だから。

本当に恐ろしいのは、AIが訳したのを見て、「ああ、確かにそっちの方がいいわ」ってなった時。

伊藤

「味わい深っ」みたいなのが出てきた時に。

平野

そう、出てきた時におわるよね。いよいよ絶望だなって思って。
偏差であるうちは人間だから、人間の価値がまだ担保されてるよね。

「サビを持ったAI」は作れるのか

伊藤

それってAIがその「AI」というでかい存在ではなくて、「AIの〇〇ちゃん」みたいなのが出てきた時に発生し得ることなんですかね。

平野

ああ、そっか。なるほど。

伊藤

サビを持ったAI。

平野

サビを持ったAIは、でもすでに作れるよね。
亜和さんが今まで書いた文章を全部学習させて、テーマを与えたら書けるわけでしょ?それっぽい文章。

伊藤

書くらしいですね。

平野

最近もあったんですよ。フランスの、ソルボンヌ大学主導のプロジェクトで、AIがモリエールの新作を書いたの。過去の作品を全部学習させて、新作を書かせたっていう報道があって。それをヴェルサイユ宮殿で上演したんです。

伊藤

「バーチャル美空ひばり」みたいなことですよね。

平野

そう。ただまあ、あれに関しては実際には人間の研究者や芸術家がチームを組んで、新しい情報もたくさん学習させつつ、仔細に手を入れながら長い年月をかけて仕上げたらしいんです。だから新作といえないこともない。

翻って、純粋に過去作のデータ学習のみから生成されたものについては「全然新作じゃないからな、それ」って思うんだけど、どうなんだろうか。

伊藤

停滞してますもんね、時間としては。今の時代を見て作ったものじゃないし。

平野

そう、一人の人間が生きて、何かを絶えず経験していって、世の中も変わるし、その人も変わるとか。

大病をしたとか、友達をなくしたとか、大切な人に巡り合ったとか、戦争が起きたとか、いろんなことがあって作品に影響を及ぼすわけじゃん。そこから生まれてくる変化がない。まさに停滞してるから、新作の要素はどこにもないんだけどね。

伊藤

うん。でもエッセイを書いてて、「ああ書いたけど、あの時の私はバカでした。今はこう考えてます」っていう変化は、読み手にとって求められてないんじゃないかって感じることもあります。

「前はこう言ってたじゃん」みたいなことを言われるんじゃないかって。読んでる人にとっては、「こういう考えをしてます」って完成した状態の伊藤亜和がいるというか。

で、私が成長していって、「あの頃言ったことは間違ってました」みたいに変わっていくことが、果たして価値を持ってもらえるんだろうかっていうのがわかんないです。それこそ「節」みたいなものが、ずっと同じ「節」を求められてるんじゃないかっていう不安があります。

平野

なるほど。それって勝手に不安になってる?

伊藤

勝手に不安になってるっていうのが大きいとは思うんですけど、私の考え方に感銘を受けた、みたいなことを言ってる人がいると、「あれ、ここが変わったらこの人どうなっちゃうんだろう」とか思ったりするし。

最近言葉遣いとしてあるなって思うのが、「この人信頼できる」とか、そういうことが一等の褒め言葉になっているように感じる時があるんですよね、いろんな界隈で。

だから「信頼できなくなった私」はどうなっちゃうんだという不安があります。

平野

なるほどね。まあ、「信頼できる」みたいなのは、最近、いかに信頼できないと感じているかですね、いろんなことをね。だから信頼できる存在が欲しいんだね。

伊藤

そう、「信頼できない」の箱に入れられると、それを面白がってくれる人もいないかもしれない。
「作品は面白いけど、実際めちゃくちゃだな、この人」みたいに思われたら、もうお払い箱かもしれないと思ったりします。

平野

お払い箱。つらい。悲しい。

編集部

伊藤さんは「信頼できない存在」でありたいですか?

伊藤

そうですね。いろんな人に信頼できない存在でありたいって思ってますね。

平野

そうね、人は変わるものですよね。で、その変遷が面白いと思うし。
変わらないっていうことは怠惰さとも背中合わせだろうし。

ディナーショーはたぶん「生き様」

編集部

勝手に誰かに期待しすぎ、みたいなことはありますよね。
例えば、SNS上などで有名人に対して「この人は絶対自分と同じ考えのはずだ」みたいに勝手に思い込んでいて、ちょっと違うことがわかってがっかりしたり。

平野

あります、あります。本当にちっちゃなことからあるもんね。
僕が大のカラオケ好きであることとか。潜在的には常に行きたいと思っている。

伊藤

本当ですか。

平野

そう、カラオケがというより、歌を歌うのが好きだから。

伊藤

それでいうと、私さっき初めてボイトレ教室に行きました。朗読の予定とかがあるから、喋ってるとすぐ声が枯れちゃうのを直したくて。それにあわよくば歌も上手くなりたい。四十代ぐらいからディナーショーをやりたい。

平野

いや、ディナーショーとかね、「節」の最たるもんですよ。

伊藤

イエスマンしかいないんですよ。ディナーショー最高!

平野

今ディナーショーに来る人たちを思いつく限り一番悪い言い方で表現したよ。

伊藤

あれはイエスマンですよ。イエスマンがご飯食べに来て、その間を通りながら手を振るっていう。その空間を作りたい。

平野

言い方が悪い。しかも悪さがちょっと新しいわ。

いや、でもそうだよね。いくらなんでもAIがやるディナーショーはさすがに面白くないと思うんだよ。
やっぱりディナーショーって「サービス」があるわけじゃん。こう、テーブルとテーブルの間を練り歩いて、握手してくれたり、サインしてくれたり。まあ、一個も知らないんだけど。

伊藤

行ったことないからわからないんだけど、多分羽とか、背中になんかすごいのがついてて。

平野

大丈夫?それは美川憲一、小林幸子ラインで止まってない?

伊藤

違うんですか?それで階段から降りてくる。

平野

さては紅白と宝塚のキメラだな…。
それで言うと、山口県に有名な、女将のショーをやってる旅館があるの知ってますか?

伊藤

聞いたことあります。

平野

女将劇場っていうのをやっている旅館があって。ちゃんとした旅館なんだけど、毎晩女将がいろんな水芸とか。ちょっとした芝居とかを上演するの。

元々はテレビで多分有名になったんだけど、それにこの間お友達が行ってて。
「女将劇場どうだった?」って言ったら、「なんかもう、全てが・・・、全てが・・・」って言ってた。

伊藤

全てが。

平野

やっぱりみんな行くと圧倒されるみたい。

伊藤

その人気は女将の芸のクオリティじゃないじゃないですか、きっと。女将の世界観を・・・。

平野

ありようというか、生き様をね。

伊藤

そう、生き様を見に行ってるわけですよ。

編集部

女将のサビを聞きに行ってるわけですね。

「AIの使い方」に始まり、言葉に宿る歴史、そして最後にはなぜかディナーショーの展望にまで話が広がった第1回前編。この連想ゲームのような話の展開こそが、「よけいな話」の醍醐味・・・?です。

この先どこへ向かい、どんなふうに着地するのかは、話している本人たちにもわかりません。後編は10/14(水)に公開予定です。引き続き、お二人の対談をお楽しみください。

また、以下のフォームでは、お二人に話してほしいテーマや今回の感想も募集しています。ぜひお気軽にお寄せください。
https://forms.gle/psN7wjmwyxXUc3yBA


平野暁人(ひらの・あきひと)
翻訳家(日仏伊)。戯曲を中心に小説、精神分析など幅広く手掛ける傍ら、舞台芸術専門の通訳者、ならびにパフォーマーとして国内外で活動。訳書に『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)、『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『純粋な人間たち』(英治出版)など。

伊藤亜和(いとう・あわ)
1996年横浜市生まれ。文筆家。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業。
noteに掲載したエッセイ「パパと私」がX(旧Twitter)でジェーン・スー氏、糸井重里氏らの目に留まり、注目を集める。著書に『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)、『魔女になりたい』(文藝春秋)など。

イラスト:スミアヤカ
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写真:Coco Taniya