学ぶ時期と試す時期

英文記事執筆:Everett Ofori / 翻訳:POLYGLOTS magazine編集部
今では、ダンスやピアノ、宙返りなど、人が自分の技能を示す方法はいくらでもあります。技能によっては、実際にやっているところを見るだけで、その人がどれくらい熟練しているかがわかります。しかし、すべての技能がそれほど簡単に判断できるわけではありません。何千もの検定試験がある日本を見ると、人々が技能そのものだけでなく、その技能を証明することにもどれほど大きな価値を置いているかがわかります。
しかし私は、学ぶ時期があり、試す時期があるのだと考えています。
試験と不安
ある分野を何時間もかけて学んできた人でも、試験会場に入ると不安になることがあります。アナウンス、静けさ、そして試験監督者の見張るような視線は、どれもストレスの原因になり得ます。ひどい場合には、試験が近づくにつれて汗をかいたり、気分が悪くなったり、心臓が激しく鼓動したりすることもあります。その不安は、試験中だけでなく、結果を待っている間、さらには結果が発表されるときまで続くことがあります。
日本では、何年にもわたって子どもに何度もの試験を受けさせながら、その過程を導いていく親もいます。そうした親たちはもちろん、将来に役立つ大切な力を子どもが身につけられるよう助けていると考えています。しかし一方で、試験が多すぎると、子どもに不必要なプレッシャーを与えることになると考える人もいます。
学ぶ時期
どんな分野でも、学び始めの段階では、学習者には自由に試してみる余地が必要です。親はこのことをよく分かっています。赤ちゃんが言葉を覚えるとき、間違えるたびにいちいち訂正したりはしません。“tichen” がやがて “kitchen” になり、“peepo” が “people” になることを知っているからです。そこにストレスは必要ありません。
絶えず訂正されていると、初心者は話すことや挑戦すること自体をやめてしまうかもしれません。それは問題です。間違えることは、学ぶうえで大切な一部だからです。外国語を学んでいて間違えたとしても、誰かに逮捕されるわけではありません。訂正してもらえば、次は少しだけ上手に話せるようになる。それだけのことです。
試験が学習の主な目的になってしまうと、もうひとつの危険があります。教師が、主に試験のために教えるようになってしまうことです。その結果、その分野をより深く理解する助けになるはずのほかの活動が、後回しにされることがあります。試験には合格できても、将来役立つはずの多くのことを学び損ねるかもしれません。
試す時期
しかし、学習者がいつまでも初心者のままでいることはできません。ある分野を身につけたいのであれば、いずれは試験を受ける覚悟も必要になります。試験に向けて準備することで、学習者はより注意深く、規律を持って学ぶようになります。気が向いたときに勉強するだけではなく、明確な目標と期限を持つことができます。
試験は、有益なフィードバックを得る機会にもなります。試験が近づくにつれて、自分がよく理解できていることと、まだ改善が必要なことが分かってきます。そのうえで、学習方法を変えたり、苦手な部分に集中したりすることができます。
初心者を守ること、でも…
学び始めたばかりの人には、自由に試すための時間と余裕が与えられるべきです。その自由が、学ぶことへの愛着を育て、一つひとつの間違いが、習得へ向かう小さな一歩になります。
しかし、習得へと近づいていく学習者は、いずれ試験という規律を受け入れなければなりません。フィードバックを受け取り、自分の間違いを認め、それを乗り越える方法を見つけていく必要があります。
恐れずに学ぶ時期があり、規律を持って試される時期があります。難しいのは、いつ一方の時期からもう一方へ移るべきかを見極めることなのです。
emoji_objects本記事のイチオシ!フレーズ
「AがBを乗り越えられるよう導く」「AがBを経験するのを支える」
「guide A through B」は、Aがある過程や困難な状況Bをうまく進んでいけるように、助言したり支えたりすることを表します。「guide」には単に道を教えるだけでなく、相手に寄り添いながら一連の過程をサポートするニュアンスがあります。
Parents can help guide their children through difficult times.
「親は、子どもが困難な時期を乗り越えられるよう支えることができます。」

