デフリンピックとは? 100年の歴史と注目のアスリート

英文記事執筆:まりか/ 翻訳:POLYGLOTS magazine編集部 / 写真:21st Summer Deaflympics Taipei 2009
デフリンピックとは?
デフリンピックは、ろう者のアスリートを対象とした国際的な総合スポーツ大会です。その名称は、「Deaf(ろう)」と「Olympics(オリンピック)」を組み合わせたものです。国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催しており、オリンピックと同じように4年に一度開催されます。
最初のデフリンピックは「国際サイレントゲームズ」と呼ばれ、1924年にフランスのパリで開催されました。これは、近代オリンピックに次いで、国際的に組織された同種のスポーツ大会としては2番目のものでした。大会には、ヨーロッパ9か国から合計148人の選手が参加しました。当時、ろう者は知的に劣っていると見なされ、社会から疎外されていました。
ろう者の自転車競技選手であり活動家でもあったウジェーヌ・ルーベンス=アルカイスは、パリろうあ者スポーツクラブを率い、フランスろうあ者スポーツ連盟(現在のフランスろう者スポーツ連盟、FSSF)を設立する中で、ろう者のための国際大会という構想を発展させました。また、自身のろう者スポーツ雑誌『The Silent Sportsman』を通じて、その構想を広めました。
ベルギーの陸上競技選手兼テニス選手、アントワーヌ・ドレスも、ろう者のための大会についてルーベンス=アルカイスと同じ考えを持っていました。彼は大会の実現に大きな役割を果たし、2人は夢を実現するために絶え間なく取り組みました。ドレスは大会を運営しただけでなく、自らも選手として出場し、第1回大会のテニスで2つの銅メダルを獲得しました。その後、5大会を通じて合計7個のメダルを獲得しました。
1935年、日本はアジアで最初のメンバーとしてデフリンピックに加わり、同じ年にはアメリカが北米で最初のメンバーとして加わりました。その後、1955年にはオーストラリアとニュージーランドも加わりました。現在では、イラン、イエメン、ウルグアイ、パキスタンなどを含む100か国以上の選手がデフリンピックで競い合っています。
1996年には大会名が「World Games for the Deaf」に変更され、2001年には最終的に「Deaflympics」という名称になりました。デフリンピックは、ろう者の能力についての固定観念に挑戦する、画期的な大会となりました。
100周年
2025年、デフリンピック100周年を記念して、第25回大会が日本で初めて開催されました。この大会には、81の国と地域から過去最多となる3,081人の選手が参加し、21競技で競い合いました。
日本からは、これまで参加したことのない競技も含め、すべての競技に合計270人の選手が出場しました。日本は51個のメダルを獲得し、それまでの最多記録であった30個を大きく上回りました。
大会への一般入場は無料で、開会式と閉会式のチケットは抽選制で配布されました。地元のデフリンピック組織委員会の久松三二氏は、多くの人が来場したことに感激し、「ほんの一言で言えば、涙があふれそうになりました」と語りました。大会には約28万人の観客が訪れ、当初の目標のほぼ3倍となりました。
注目のデフリンピアンたち
28歳のデフリンピアン、山田真樹選手は、前回東京で開催されたデフリンピックで、400メートルと4×400メートルリレーで金メダル、200メートルで銀メダルを獲得しました。彼は多くの実績を持つ、ろう者陸上界を代表する選手の一人で、自身が持つ日本のろう者記録も更新しています。
聴者の家族の中で育った彼は、家族で唯一のろう者として、疎外感を覚えることがよくありました。ろう学校に通い、「ろう学校が自分の居場所だった」と感じていました。子どもの頃は特に足が速かったわけではありませんが、成長するにつれて走ることが楽しくなり、学校の陸上部に入りました。大学2年生のときから国際大会に出場するようになりました。また、俳優としても活動しています。
テレンス・パーキンは、南アフリカ出身のろう者の競泳選手で、オリンピックとデフリンピックの両方に出場しています。デフリンピックでは通算33個のメダルを獲得しており、大会史上最も成功した選手です。彼は自身の知名度を生かして、ろう児が水泳に参加できる環境づくりを進めるとともに、世界各地を訪れて水の安全について講演しています。パキスタン、ロシア、フィリピンなどの国々でも講演を行ってきました。
同じ南アフリカのオリンピアン、リク・ニーリングは、彼について「世界中の子どもたちにとって力強いロールモデルであり、困難を乗り越えようとしているすべての人にとって励みとなる存在だ」と評しています。
インドのゴルファー、ディクシャ・ダガーは、デフリンピックで2度金メダルを獲得しています。彼女はオリンピックにも2度出場しており、インド代表としてオリンピックに出場した初のインド人ろう者アスリートとなりました。7歳のときに父親からゴルフを教わり、わずか15歳でインド女子アマチュアゴルフ界のトップ選手となりました。
デフリンピックは、単なるスポーツ大会ではありません。世界中の人々に今も刺激を与え続け、ろう者のアスリートが何を成し遂げられるのかを私たちに示しています。
次にデフリンピックについて耳にしたときは、ぜひもう少し詳しく知り、こうした素晴らしい選手たちを応援してみてはいかがでしょうか。
emoji_objects本記事のイチオシ!フレーズ
「困難を乗り越える」「不利な状況を克服する」
「the odds」は、成功を難しくする不利な条件や状況を指します。「overcome the odds」は、成功する可能性が低い厳しい状況や数々の障害を乗り越えて、目標を達成することを表します。
She overcame the odds and achieved her dream.
「彼女は困難を乗り越え、夢をかなえた。」




