さまざまな「わかり合えなさ」を描くこと 藤見よいこインタビュー (2/2)

『半分姉弟』の作者が考える、エスニシティ、コミュニケーション、そして言葉

半分姉弟

進行・構成:POLYGLOTS magazine編集部 写真:Coco Taniya ©︎藤見よいこ/トーチweb

マイクロアグレッションだけではなく、例えば、 中国ルーツを持つ日本語話者の紗瑛子さんの場合、中国人で中国語話者のお母さんとの関係、つまり「親子で使う言葉が違う」ことで起きる摩擦や軋轢を描いていますよね。いろんな形の「わかり合えなさ」がこの作品にはあるなと思います。

はい。このエピソードで言うと、ミックスルーツではなくて、他のマイノリティ属性の方からも感想をいただいています。例えば「CODA(Children of Deaf Adults)/コーダ」の方とか。つまり、聞こえない、または聞こえづらい方(ろう者)を親に持つ、聞こえる子供(聴者)のことです。その方たちも、本人は聴者だけど、ろう者の親とは文化や体験が違うし、聴者のコミュニティにも完全には馴染めない、みたいな感じが「ハーフ」と似てるなって思って。あとアルビノ(身体の色素が生まれつき不足している)の方とか、 クィアの方とか、ほかのマイノリティの方々からも、「すごく共感できる」と言ってもらえて。いわゆる「普通」というものの周縁にいる人たち同士では、共感し合えるのかなって思いました。 

担当編集さんがつけてくれた「わかり合えなさと手をつなぐ」っていうコピーが私はすごく好きなんです。今度は、「ハーフ」という同じ属性同士でも「わかり合えない」ってことも書きたいなって思っています。

少し「マジョリティ」の話をしたいと思っています。これは自分のことでもあるのですが、日本の「普通なら、こうだよね」を内面化してしまっているというか、自分がマジョリティであることを意識せずに発言してしまうことが多くあると思っています。それがきっとマイノリティ属性の方々への接し方に現れてしまうことがあるんだろうな、と。

いやいや、でも私もそうだと思いますよ。簡単に「日本人」って言ってしまうけど、そこには当然多様性があるはずなのに「狭い範囲」の日本人のことを言ってるなあっていう。その「狭い範囲」が、いわゆる「普通」や「同質性」というものなんですかねえ・・・。

その内面化してしまった「普通」や「同質性」を、どうやって「相対化」すればいいと思われますか? 何と言いますか・・・「あ、今、自分変なことを言ったぞ」「今、自分はステレオタイプを言ったぞ」のように、「俯瞰して自分を見る」っていうことを意識的にやられますか?

自意識のマトリョーシカみたいな(笑)。常に自分のことを問い直すのは、本当に大事だとは思いますけど、結局「コミュニケーション」をするしかないんじゃないですか。ハーフをはじめ、マイノリティの人だって当然自分を問い直したりしてると思いますし。「自分の立場でこんなこと言っていいのかな」って思うけど、でもそれでも言わなきゃいけない時ってあるよなって思います。

おっしゃっている「俯瞰を続けて、教科書の正解みたいなものを絞り出す」っていう感覚はすごくわかります。でも、それってよく考えると変ですよね。それよりも自分の言葉で失敗した方がよっぽど豊かじゃないかなって。ファイナルアンサーだけを積み重ねるんじゃなくて、率直に 「こう思ってるんだけど」と言う方がいいなと思います。

だからやっぱり「難しさ」「わかり合えなさ」っていうのをちゃんと引き受けてコミュニケーションを取っていくしかないと思います。

なるほど。「わかり合わなきゃいけない」というのも、なんだか違いますもんね。

わかるわけないですよね。「わかった気になる」のも、相手にすごく傲慢だったりとかもするし。

あと、そういう、カッコ付きの「普通」を打破するためには「メディア」の情報発信の役割って、すごく大事だなって思いますね。「世界にはいろんな人がいる」っていうことを、もっと日常的に感じられたらいいですよね。

言葉と教育、そして「母語」の大切さ

ありがとうございます。メディアと言えば、当メディア「ポリマグ」は、英語学習者が読むことが多いメディアです。そこで「藤見さんと言語」についても少しお伺いしたいのですが、先ほどスペイン語はルーツでもあり、勉強もされたとお話しされていましたが、英語についてはいかがですか?

はい、スペイン語はちょっとできますね。英語はやっぱり「ツール」としては、今のところやっぱり最強だなとは思うので、できたら絶対便利だなとは思いますね。

実は今年の夏、『半分姉弟』の英語版が出ることになっているんです(英語タイトル”Half Is More”)。翻訳者の方がとても「熱い」方で、セリフについても「これってどういう意味ですか」と、いっぱい書かれた質問リストを送ってくれて。その方は日本語がすごく上手な人ではあるんですけど、自分がもっと英語ができたらこういうやり取りももっと高い精度でできたのかな、と思ったりします。

一方で、英語の「最強さ」をちょっと疑ってかかりたい、みたいな気持ちもちょっとありますね(笑)。

以前インタビューしたフランス語翻訳者の平野暁人さんは、英語が歴史的に「支配的」であったことを意識していたいものだ、というようなことをおっしゃっていました。

そうですね、英語的な概念、価値観とかも、そのまま輸入されていることが多いですよね。マイノリティコミュニティの中で使われる言葉にも英語がとても多いです。それこそ「マイクロアグレッション」とかもそうですけど。でも例えばアメリカのレイシズムと、日本のレイシズムって、歴史性をはじめ、全然違うものだと思っていて、それを「英語の概念」だけで捉え続けてていいのかなっていうのは思ったりします。

先日のバッド・バニー(プエルトリコ出身のアーティスト)のスーパーボウルのパフォーマンスは全編ほぼスペイン語だったわけですが、めちゃくちゃエンパワーされました。「TOGETHER, WE ARE AMERICA」というボールを持って、ラテンアメリカ〜北米の国名をどんどん上げていって「Seguimos aquí」(私たちはここに居続ける)って言って終わる。本当に格好よくて、感銘を受けました。彼はあそこで「アメリカ」っていう言葉を「アメリカ合衆国」ではなく、ラテンアメリカのことも含めた「アメリカ大陸」のことを指して意識的に使っていたんですよね。

アメリカ(合衆国)を象徴する大舞台で、非英語のパフォーマンスで自分たちのカルチャーをrepresentしたのは感動的でしたね。言葉の話で言うと、『半分姉弟』の最新エピソードは「日本語教育」の話ですね。これについても取材されたんでしょうか。

はい、足立区にある移民の子供に日本語を教える活動をしているメタノイアというNPO法人や、大阪の三原台中学校にも取材に行きました。三原台中学校は、学校の中に常設の日本語教室があるんです。歴史的に中国ルーツの生徒がすごく多い学校で、外部からも小学生が通っていてすごく賑やかな教室です。そこの先生のお話にも、すごく影響を受けましたね。

公立の学校に日本語教室があるんですね。

自治体にもよるのでしょうけど「初期指導」といって、来日してすぐの子は何十時間はその学校内でサポートして日本語で教育をするっていう試みがあります。でもやっぱりそれだけじゃ全然足りなくて、だからメタノイアさんとか、三原台中学校の日本語教室とか、「志のある」先生方の頑張りに頼っているという状況があって、それはちょっと課題だなと思ってます。

今、日本で生まれる子どものうち、片親か両親が外国人の子は4%ぐらいと言われています。少子化という要因もありますが、割合自体は年々増えていますね。

ただ、政府が統計を取っている「片親が外国人」のケースが、外国籍と日本国籍の親の間に生まれた子という定義で、実態はもっと複雑なんですよね。帰化してる人もいれば、 ルーツとして日系人だけど外国籍の人もいるから。だからデータ的に取りこぼされている人はもっといるはずですね。

最新エピソードのアレキサンドラ(フィリピン人の両親を持つ)とマテオ(ペルー人の両親を持つ)という2人の中学生は「日本語」を学んでいるわけですが、お互いの母語が違うので、言葉ではコミュニケーションが取れない状態。日本語を習得して、コミュニケーションを取っていくことになるのか・・・今後が気になります。

ありがとうございます。今ちょうどネームをやっているところで、どうしようかな。 この話のテーマってどういうところに行くんだろうな。あの2人が日本語を絶対習得しなきゃいけないっていうのもなんかある意味「抑圧」だから、それが達成されることを無邪気に「良きこと」として描いていいのか、みたいな。

住まう国の言語を話さなくてはいけない、というのは究極的には「同化」ですよね。本当はその人の言語でも生きていける社会であるべきなのに。英語もやっぱり「ツール」としてはすごく強いけど「それができないとダメ」ってなっちゃうのは苦しい状況だなって思います。先ほどの三原台中学校の先生は、そういう葛藤を引き受けて日本語教育をやっている人だなって思いました。大阪って「多文化共生」の教育がめちゃめちゃ進んでいて、同じ機会に取材させていただいた国際交流センターでは「母語教育」の試みもやっていたりしました。例えばスペイン語の移民1.5世(この場合、スペイン語圏で生まれ、幼い時に親と日本にやってきた子供)が日本語を習得して思春期ぐらいになると、もう日本語しか喋れなくなっちゃうというケースがあって、そういう子にもう一度、スペイン語を教える活動ですとか。ルーツの文化や言語は大事なアイデンティティですからね。

スペイン語ではないですが、少数言語の「言語の死」(言語消滅。その母語の話者がいなくなってしまうこと)も今問題になっていますよね。そして、2人の物語の結末はまだ決まっていないんですね。本当に1話1話、考えながら描かれているんですね。

そうですね。今まさにやってるところです。取材をしていくと、描く前に予定していたことと変わってくるんです。「こういうことは無邪気に描けない」って思ったりとか。

2巻が待望されていると思いますが、そこでは何が描かれるんでしょうか。

さっきお話ししたみたいな、「ハーフ同士ですらわかり合えない」みたいなこととか、もちろん日本語教室の話も入れたいなって思っています。あと「親の立場」の話も描きたいな。国際結婚してハーフのお子さんを育てている人にも取材をしたんですけど、やっぱり親だって悩むよな・・・ってすごく思ったから。なるべくいろんな視点で描けたらいいなって思ってます。 

『半分姉弟』以外で、これから藤見さんが描いていきたいテーマはありますか。

そうですね・・・今はかなり『半分姉弟』で頭がいっぱいになってしまっていて、あんまり次回作のことはわからないです。でも、この「エスニシティ」っていうテーマは、また何か別の形でも挑戦したいとは思っています。いろいろインプットする中で新しい視点が増えていくから、「その時描きたいこと」を描き続けたいですね。

ありがとうございます。これからも作品を楽しみにしています。

ありがとうございます。「次回作にご期待ください!」(笑)。

半分姉弟

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